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キリスト教の教会学校とは? イエス・キリストのお話が、子どもを成長させる

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教会の子ども教育とは?

子どもの伝道が停滞しているということは、例外があるかもしれませんが、教会・教派を超えての、今日の現実です。

子どもたちは、厳しい精神的危機にさらされており、教育に当たる両親、また教師たちも確信を失い、動揺しています。

この危機が、どこに根ざすかを問いつつ、キリストの教会が、これにどうこたえるかが問われています。

これは教会学校教師のみならず、教会員の祈りと関心を喚起し、教会ぐるみで取り組むべき課題です。

教会学校教師もまた、これが全教会の課題として取り上げられることを願い、それを受け入れる姿勢があるかどうかが問われます。

説教の課題もまた、このような広がりと深さにおいて問われなければなりません。

このことは、今日の教会学校のあり方の変革を問うものです。

思いきった変革を試みる自由、勇気が求められます。

しかし、このことは教会の伝統を無視することではありません。

むしろ、聖書という原点、教会の歴史的伝統を自覚的に問い直し、継承し直すことが大切です。

子どもに対する説教自体は、きわめて単純なものです。

しかし、それだけに集中的に、その課題を果たすものでなければならず、そのために一方では、これを支える基本的な考え方が整理され、それがその教会と教会学校において共有される必要があります。

教会学校は、学校であるというよりも、子どもの教会です。

日曜日の午前、ほぼ一時間に礼拝と分級を行うような仕組みで、いわゆる学校の名にふさわしい教育ができるのかどうかが問われています。

子どもたちに提供されるのは、学校教育に見られるようなカリキュラムに従う、一定の教育目標を掲げた教育であるのかという問いがあります。

学校まがいのことではなく、キリストの教会が、人間にとって持つ固有の意味、本来の使命が子どもを対象として、改めて明確にされ、「子供の教会」とは何か、それはいかにあるべきかを問うべきではないでしょうか。

教会の教育とは何かを改めて問う必要があります。

説教は何を語るか

子どもの教会である教会学校は、重要な教育の使命を与えられています。

洗礼を受けている子どもを含めて、将来の信仰告白(クリスチャン)を目指すことになります。

それに向かって子どもたちを育てていくことです。そのための教育を必要とします。

当然、それは、教会が育て子どもが成長し、クリスチャンになるかという時に、きちんとした知識をもって答えられるようにするということです。

改めて、教理教育の重要性を自覚させられます。

特に児童説教が、一番の教理説教として整えられることが大切ではないでしょうか。

ただし、キリスト教会の教理は、子どもたちをも生かす真理を語りますが、その教理を表現する言葉が、子どもの理解力を超えるものがあることは忘れてはなりません。

そのために、教理が直接に説教の主題となることは困難となります。

ペテロは、教会が語るべき御言葉とは、イエス・キリストという出来事であると明言しています。

イエス・キリストの物語をすることが、教理を語ることになります。それは、教理的視点の明確なキリスト物語が、説教の中核になるということです。

まことの神であるイエス・キリストがまことの人となり、地上で歩まれた道と、そのわざと言葉とを、そのような方の物語として語り、そのようなキリストに対する愛、信仰が、子どもの心に届けばいい。

別の言い方をすれば、福音書の語り口をよく学ぶということでもあります。

子どもたちのために、福音書を語り直してあげること、聖書物語を語ることが、キリストを礼拝する子どもの教会の言葉として語られるのです。

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