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洗礼(バプテスマ)を受ける決断 クリスチャンになる(キリスト教伝道)

洗礼(バプテスマ)

洗礼は、イエス様が弟子たちに「信じた者は受けなさい」「信じた者には授けなさい」とおっしゃった命令なのです。

 

クリスチャンになり、神様を信じた者の従順の第一歩は、「洗礼を受ける」ということから始まります。洗礼はまず「古い人が死に、新しい人が生まれる」ことの表れだと聖書に記されています。新しく生まれた人生をこれからはイエス様が一緒にいてくださる。洗礼を受けるとは、新しくキリストと共に生きることなのです。

 

洗礼は新しくやり直すことができることの告白です。「ああ、ここからやり直せる」という場所を人生に持つことができる時となるのです。

 

洗礼を受けるとは「神の子とされる」ことです。神から離れて生きてきたのに、「あなたは自慢の我が子だよ」「私はあなたを誇りに思っている」と、神様は私たちの存在を、多くの人の前で喜んでくださるのです。そこで私たちは失っていた自信を取り戻すことができるのです。

 

人からどれだけ失望されたとしても、神様は私の存在を喜んでくださる。この事実がある限り、私たちはもう人の目を恐れることはありません。

 

洗礼は人に強制されてするものではありませんが、礼拝に集まっておられる方の中には、すでに神様を信じ、神の恵みの中を生かされていらっしゃるなあと思われる方々がおられます。しかし洗礼を受けるのには至らないのです。クリスチャンとは立派な人のことを言うのではありません。洗礼を受けるともう罪を犯さなくなるということはありません。すべてが分かってから洗礼を受けるのでもありません。しかし、クリスチャンとは、イエス・キリストと共に生きようとする人のことです。そしてイエス様と共に生きようとする人に、イエス様が共に生きてくださるのです。

 

むしろ洗礼は、救われたことの確かさをもたらしてくれます。神様が「あなたの信仰は私が導き、私が育て、私が確かにするのだ」とおっしゃるのです。

 

洗礼を受けてからも罪を犯します。しかしそれはもう神様の手の中の出来事です。イエス様が週ごとに礼拝でみことばを語ってくださり、聖餐式の恵みの中に入れてくださり、育ててくださるのです。その時に私たちは少しずつでも確かに変えられていくのです。この救われた確かさが、私たちを信仰のグラつきから守ってくれるのです。

「あなたはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ」このキリストの言葉につながれて生きていこうではありませんか。

 

私たちはイエス様を信じる時に、信仰を公に明らかにするのです。「ああ、自分は洗礼を受けたのだ」と、自分の信仰の不確かさから守られて生きるのです。

 

人前でイエス様との関係を明らかにしていく。自分の側ではこの信仰を続けていくことには自信はないかもしれない。しかしこの信仰の決心を持ち運んでくださる神様におゆだねして、生きていくのです。

 

洗礼は決断を必要とします。どこかで洗礼を受ける決心をするのです。イエス・キリストを信じ、キリストと共に歩んでいくことを求めておられるならば、洗礼の決断へと踏み出してほしいと思います。いつの日かあなたを洗礼に導こうとされている神が、その日を必ず与えてくださいます。

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