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礼拝の説教準備⑤説教者自身が祈りの中で新しくされる必要がある

聴衆の黙想 聴き手に届く

聖書の箇所が教会学校に集う子どもたちに、どういう意味があるだろうかを考える必要があります。

子どもの立場に立って、御言葉を聞き直すことが大切です。

目次

1,子どもの世界の言葉

子どもたちの理解できる言葉で聖書を理解し、子どもが身近に感じる表現で語れるように練習します。

大人の堅い表現ではなく、子どもたちの会話に出てくるような言葉、子どもたちの生活で使う言葉です。

2,聴き手に寄り添いつつ、御言葉に聴く

説教の聴き手の子どもたちの現状を見つめて、祈り、聴き手に適用することを考えます。

子どもたちがこのメッセージを聞いたら、どう思うだろうかということを考えます。

子どもたちの生きる力となるように、福音を伝えるにはどうすればいいか、一人一人の顔を思い浮かべながら祈り、考えます。

子どもたちは福音を聞きたがっています。

どこかの昔話としてではなく、楽しみのためでもなく、聖書の話を通じて、父なる神様の恵みを聞きたいと、渇いた魂を持っているのです。

3,聴き手の言葉

説教の言葉に「聴き手の言葉」という要素があります。

これは、メッセージに対して、聴き手の弱さ、ジレンマ、葛藤、反発、嘆きを説教者が汲み取って、聴き手の気持ちを説教の中で代弁するのです。

例えば、「いつも喜びなさい」とメッセージでは語られるけれど、自分はいつでも喜べないな。信仰が薄いからかな。と悩む思いを、裁くのではなく汲み取るのです。

そして聴き手の本音に近づくのです。取り残される思いを乗り越えさせて、恵みの福音への世界へと招き入れるのです。

メッセージ準備の中で、聴き手のために祈り続けると、聴き手の心の奥の本音に寄り添いつつ、福音を手渡せるように成長していくことができます。

4,とりなしの祈り

命ある言葉として説教をしたいと思いながら、子どもたちの現実を見ると、やりどころのない思いを持つときがあります。

そのような思いのすべてを正直に神様の前に持っていきましょう。

世の現実がどうであれ、御言葉の現実の中に生きるのです。

この御言葉を場とした祈りのやり取りこそが、説教を熟させていくのです。

悲しみに届き、さびしさに届き、福音による希望が与えられる説教をするために、説教者自身が祈りの中で新しくされる必要があるのです。

どんなに子どもたちが抱えている問題が複雑で、困難に見え、悲しみや闘いが厳しかったとしても、神様はその中にあって、子どもたちを行き詰まらせることなく、困難に押しつぶされることなく、輝かせてくれることを信じたいものです。

私たちはこの福音の言葉を、聖書から聴きます。

何よりも御言葉に信頼して聴くのです。

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