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神様の愛を受けて、本当の意味で弱さを克服する(キリスト教伝道)

空しい人生を幸せな人生に

彼は、欲しいものはすべて手に入れることができました。しかし、自分のしたことを振り返るとすべてが空しく、何一つ自分の益となっていないことに気づいたのです。彼は、神のことに目を向けます。神を信じる彼は、新しい結論を語ります。「実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができるだろうか」神がすべてのものを与えてくださるのです。その神から離れてしまっていては、すべてのことが空しいだけなのだ。だから自分は空しかったのだと分かったのです。

 

この世が空しいのは、人が神から離れてしまっているからです。実は、神から離れることこそ聖書の教えている罪の本質です。

 

神を覚えることが、空しい人生を幸せな人生とする始まりなのです。

 

私たちの復活

 

「あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり……生まれながら御怒りを受けるべき子らでした」(エペソへの手紙 2章1、3節)

聖書は、人は「自分の罪の中で死んでいる」と教えているのです。罪とは、神に従わずに、自分勝手に生きることです。神との関係において、神から離れている状態を言います。そのような者は、神の怒りを受けるべき者なのです。

 

「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました」(4、5節)

キリストは、人を救うために十字架に磔になって死なれ、三日目に復活されました。キリストが復活されたように、私たちは復活することができるのです。このように神は、キリストによって、人に救いを与えてくださるのです。

 

キリストによって自動的にすべての人が救われるのではありません。キリストの救いは神の恵みです。人は、その神の恵みとしてのキリストによる救いを受け取るのです。この恵みを受け取るためには、キリストを信じなければなりません。神は、キリストを信じる者を必ず救ってくださいます。

 

 

マタイ(神の贈り物)

「マタイ」という名は「神の贈り物」という意味です。まさにそのとおりの人生を彼はプレゼントされました。イエスキリストは新しい人生への招待状をもって、私たちの前にも立っていてくださいます。「わたしについて来なさい」と。

 

良い話を聞いただけでは、人は自分の行動を変えません。でも、心が本当に動かされた時、人は変えられます。イエス・キリストの愛は、名詞ではなく、動詞でした。語られること、行われたこと、すべてが神の愛を現していました。

もし、今、心の奥に「自分にも本当の愛が必要だ」という思いを持っておられるなら、どうかあなたもイエスに出会ってください。あなたも、愛をきっと知ることができるでしょう。

 

弱さの克服

パウロは「ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と言っています。自分の弱さを通して神様が力を発揮されることを知った時、パウロは弱さが恥でなく誇りに変えられたのですね。

 

あなたの人生にたった一人でいいから、安心して弱さを伝えられる人がいるなら、どんなに大きな自信を持って生きられるでしょう。神様は私たちをありのままで愛してくださいます。弱さを見下すことなく、100%理解し受け止めてくださる方です。そして「あなたの弱さを私に任せなさい、その弱さを強さに、恥を誇りに変換してあげるから」とおっしゃってくださる方です。そしてそのことばどおりに実現してくださる方なのです。そんな神様の愛を受けて、本当の意味で弱さを克服できたらと願いませんか。

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